昭和五十六年一月八日 朝の御理解
御理解 第六十二節 「昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれ           というておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受           けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習いも同じこと、一           段一段進んでゆくのじゃ。にわかに先生にはなれぬぞ。」
 我が身におかげを受けてという事は難しい。信心をして自分が助かる。なかなか助かっておっても人がついていかれません。
 けれども金光様の御信心は例えば、合楽理念をもってすればこんなにも簡単です明瞭です。おかげが確かですというような信心にすんなりとこうはいって行けるというか、そういう信心をさせて頂いたら、自分もやっぱり助かりたいと願っておる人が多いのですから、案外そういう信心が開けてくる。そういう信心のところへ人は集まって来る。信心をやはり何んと言うでしょうかね、難しいようなけれども、それにすんなりすうっと、入っていけるという事。そして信心は容易いものだというふうに。  先に昨日一昨日、伊藤さんの所、伊藤さんを中心にする、くの一会がはじまって何回、四回もありますでしょうか。もう月々に人の集まりが、しかも熱心におかげを頂きたいという人達がそれこそ遠方からあの、お話を頂きに来るという。しかも合楽に御神縁を頂いている人達が、ああ、あなたもおいでになったですかというような人達が、その、くの一会というその開かれたまあ根本と言うでしょうか、もうすんなりとそこへ入っていく。
 信心はこれだと、そしておかげを受けておられる。金光様の信心が詳しいわけでもなからねば、どうでもないけれども、伊藤さん自身がもうその事だけに焦点を置いておられる。まあ困った人はいくらもある。おかげを受けた人達はいくらもある。だからそういう人達がわざわざ尋ね求めてからでも、その、くの一会があちらであるそうなからというて尋ね、今度も二十数名やっぱ集まっておられたというです。
 それも思いがけない人達が尋ねて来ておる。いうならその、くの一会の精神であるところの自由自在に自分の心を有難い方へ、有難い方へ使うていけたら、どんなにか楽だろうと思われる人達が集まるのです。ですからね、信心、我が身におかげを受けてというても、そりゃ難しい、こんな修行せんにゃん、こんな信心せんならんというておかげを受けたんじゃ、なかなかついていけんのですけれども、いうなら信心、合楽の信心の真髄と思われるような、もうとにかく金光様の信心ちゃ、とても有難い、有難いと受けていけれる稽古だと。女忍者の人達が、こりゃ女忍者という事じゃないけれども、忍びの術といったようなのは、変幻自在に自分の体をその使うていけれるまあ稽古だと、まあ言われておりますが、もうこれが修行の第一だと。くというのは苦、苦労の苦、苦を修行するというのですから、修行の第一は自由自在に自分の心を有難い、有難いで答えを出していくと言う稽古。これが最高だと。修行の最高だとこう言われるわけですね。
 しかも、そんならそこに伊藤さんがおかげを受けておられる様子というものが、まあいうならば、素晴らしいわけなんです。もう確かに神の用を足しゃ氏子の用は神が足してやるとおっしゃる。その根本のところを掴んであるような感じがするですね、伊藤さんは。ですから今度、初夢に頂いておられるのでも、もう本当に素晴らしいですね。翌日お礼に出て見えましてから、お届けでございましたが、だからいうなら、年末にも申しましたように、今年こそはというのじゃなくて、今年もこれで行けばよいというお知らせを頂いちあるですね。
 自分が、去年一生懸命取り組んでこられた、その一生懸命取り組んでこられた事を今年もそのまま、続けて行けばよいというのです。いうなら、いよいよ、くの一である。いよいよ一切の事を有難い、有難いで受けていってね、そしてそこから生み出されくる神様との交流、そして生み出されてくるおかげをもって、お役に立たせて頂きたいとこう言う。もうその事だけで、あれもこれもが成就する。神の用を足せばというのは、こういうそういう事だと思うですね。
 もう本当にまあ嘘のような話なんですけれども、それだけでやはり、おかげを受けていかれておる。それを別にそれをまあ、宣伝されるわけでも、言われるわけでもないけれども、くの一会が発会したげな、伊藤さんがおかげを受けておられる様子というよをなものをやはり、実際にこの目で見たい。そしてお話を聞きたいという人達がしかも熱心に信心をしておかげの受けられないような人達が集まっておる。何かその要諦、要訣そのまあ秘訣のようなものがあるのじゃないだろうかというて、そんなら秘訣も何もあるもんじゃない。まあとにかく、どういう事であっても有難いで受けていくという事で、こんな簡単な事はない。という事だけに焦点を置けばよいのです。 して受けたおかげは、そのまま神様のお役に立たせてもらう。それだけなんです。 それだけで私の方は、こんな立派なお家も建ちました。こういうものも出来ました こういうおかげも成就しました。しかも、娘、息子達、それから御主人の上にまでこういうおかげになってきとるというお話なんです。その事にどうじゃん、たあだもうこんなに簡単な事はない。本当にくの一修行だけに取り組んでおられる。そういう意味で、我が身におかげを受けてといろいろおかげの受ける手立ても、又おかげも違います。健康のおかげを頂いた。金銭的なおかげを頂いた。心の上にもこういうおくり合わせを頂いておるというのが、只、何んというでしょうか、もう金光様の信心ちゃ何んでんかんでん、とにかく有難いで受けていけばよかですよという簡単さです。 もう自由自在にそれが、だんだん実験実証されてくるに従って、それを信じる力が強うなるから、とにかくどんないやな事であろうが、困った事であろうがおかげというふうに頂けれる稽古が、だんだん出来ていっておる。
 もう自由自在に有難い、有難いで受けていかれる。もう本当に実際何ですかね、やっぱ接してみなけりゃわからないです。
 この人のどこからそういう信心が生まれてくるだろうかと。話が別に上手というわけでもないけれども結局、体験である。実際におかげを受けておるのである。難しいところから入らずに、ほんなそれこそ、此方の道は喜びで開けた道だから、喜びでは苦労はさせんとおっしゃるのだから、もう一切を喜ぼうと決めたような感じ。なかなかぎこちなくて、変幻自在とはいかなかったけれども、それがだんだんそのおかげが積み重ねられるに従って、もう確かに成程、喜びでさえ受けていきさえすれば、おかげになるという事がわかってきた。そしてそういうおかげをですね、それこそまあ、普通でいうならば、とてもそんな事がでけるはずもないというような事にまあ着想がいいですね、着眼がいいです。いうならば神様の心にぴっしとこう頂きとめるようないうなら願いがいいです。だからその事に一生懸命取り組んでいかれる。
 そしたら、なら、今年もやっぱり元旦、初夢に頂かれたのが、それを続けて行けばよいというお知らせを頂いておられる。
 今年こそこれじゃない。今年もこれを続けいわゆる来年も又、これを続けていきさえすればよい。成程神の用を足せば、氏子の用は神が足してやる。その神様が足して下さるという事は、もう微に入り細にわたって足して下さる。一事、二事じゃない。 まあ褒めすぎかもしれませんけれどもその精神たるやとても、私の言葉で言い表す事のでけないような、いうなら心の使い方のでける人である。
 自分の工夫というのがない。工夫をせん。その事だけに専念していけばよいのである。本当におかげは思いもかけない、それこそおかげが伴うてきておるという事。  これは本当にやはり研修、研究する、もっと深いものに触れていけれるんじゃないかというふうに思うんですけれどね。言葉では表現でけないです。おそらくあのもようだったら、だれでもおかげが頂きたい。しかも自分の心の上にもおかげが頂きたい本当にどんな場合であっても、それこそ、くの一でこれが修行の第一とわかって、しかもそのどんな事であっても、はあ有難い嬉しいで受けていけれる手立てがもうあるならば、自分も頂きたいと思わない者はいないだろうと思う。
 ところがなかなか凡夫ででけんとこう決めておる。それをいうならば、信心はたいして長い事はないけれどもそれがだんだん、だんだん、すっきりとでけていかれる。 だんだんすっきりとそのおかげを頂いていっておられたら、いうならば、頂けれる頂くおかげもすっきりとしたものが本当だろうかと思うようなおかげが頂けとるね。 しかもそれが信心のない主人の上にも息子の上にも娘の上にも、家庭の上にいろんな問題はあるけれども、それが願わんでもおかげになっていっておるというような感じ。そして自分は、なら、どういう信心をするかというととにかく、今年も又、去年の同じような心掛けで信心を進めて行けばよいというのである。一つも無理がない。 そりゃまあ、お話を聞くとなかなかやっぱり信心はなかなか、難しいと普通こう思いますけれども、この人の話を聞いておると、一つも難しゅうない。それこそ簡単です、しかもこんな明瞭な事はないです。そしておかげが確かなんです。という一つの手本のようなものを頂いていっておられます。
 まあこれは伊藤さんだけの事じゃない、とにかくいうならば、くの一修行が修行の第一とおっしゃるが、各々のところでです、自由自在に有難い、勿体ないの心を使うていけれる稽古に本気で取り組ませて頂くならばですね、いやそういう先ず我が身におかげを受けてというのは、そういうおかげを最高のおかげというのじゃないだろうかと、そういうおかげならば、ああたもこんの、あんたにも話を聞かせるじゃなくてから聞かせて下さい。わからして下さいと言うて集まってくる人が多くなってくるのじゃないでしょうか。とにかく、いうなら願目がいい焦点がいい、そこに私は伊藤さんの信心があり、いうならば成程、くの一会の魅力というのがあるように思います。                                どうぞ。